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2013年8月 1日 (木)

一票の重みという欺瞞

先日「参議院選挙」が終わった。

 

終了直後に書き記しておきたかったのだけれど、なかなかブログを書くことに時間が割けず今日に至った。

 

書き記しておきたかったというのは、連日の選挙報道に違和感を覚えたからである。その違和感に向き合ってみて、何かしら言語化することに意味があるのではないかと感じたからである。

 

選挙制度の本質はやはり「個人の一票で社会を変える」(直接的に言えば特定の候補者を当選させる)であると考える。それは国民に与えられた選択権であり、国民に課される義務が正当化されるシステムと言えるかもしれない。

 

例えば消費増税が嫌だというのであれば、選挙で消費増税に反対する候補を当選させればいいのであり、選挙で消費増税を推進する候補が結果的に多く当選し、結果的に消費増税が実行されるならば、それは選挙によって国民の総意が反映させられた結果であるといえる。これは民主主義の至極もっともなロジックなのだが、あまりにこのロジックに頼りすぎ、周辺の意思への配慮が抜け落ちると若干の違和感が生じてくる。身近なとこでいえば、橋下大阪市長の政策運営手法があてはまるだろう。確かにその通りで間違ったことは言っていないが、あまりにも杓子定規な民主主義の解釈への違和感である。

 

 

結論から言えば、現在の選挙制度は「個人の一票で社会を変える」可能性を軸にした制度にも関わらず、「個人の一票で社会を変える」可能性は甚だ少ないのである。もちろん、現政権に対する不満が募り、それが「総体」となって、表に現れるのであれば社会は変わるであろう。しかし、それはいわゆる「世論」という波にのって、個々人の意思が「総体」といううねりになればこそである。結果論としては可能かもしれないが、個人が突発的に思い立った一票が社会を変える可能性はほとんどない。近年の投票率の低下というのも、人々がそういった「欺瞞」を無意識に感じているからではないだろうか。

 

さらに、そういった本質を無視して(触れてもどうにもならないので)、「あなたの1票が社会を変える」と喧伝する選挙報道にも「欺瞞」を感じた。ネット選挙の導入に関連して、若者の参画度合いの低さを非常に深刻げな表情で語り、選挙当日の報道では社会の命運をわける「運命の日」かのようなはではでしさで演出する。しかし今回の選挙は参議院選挙であり、もちろん今後の政局を占ううえで重要であるが、参議院に政局をコントロールする実質的な機能はほとんどない。そういったことを踏まえると、マスコミにとっては、選挙の結果などは実はどうでもよくて、いかに「お祭り」として「世紀の一大イベント」として選挙当日を演出し、人々の目をひくかが大切なのではないかと疑ってしまう。そしてそれこそが選挙報道の「個人の一票で社会を変える」という謳い文句に欺瞞を感じる構造なのではないかと考える。

 

別にマスコミ批判がしたいわけではない。マスコミやその他の権力性の欺瞞を指摘し、社会を変えてやろうと悦にはいってしまうことはあまり好みではない。そういった人こそ、他の人よりマスコミや権力性というものに執着しているだけではなかろうか。そもそもそんなものなのである。大切なのは正しく理解し、適度に距離をとることである。そういった意味で今回の考察をおこないたかったのである。

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