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2013年6月26日 (水)

【20130626】金沢で語る②

講義後、金沢駅まで戻り、お目当ての居酒屋「いたる」に向かう。

選考基準は食べログの評価がよかったという安直なものだったが、こういう時は王道に乗っかってみる方がだいたいうまくいく。こんなところで自分らしさを奇抜さに求めなくとも、出さねばならぬ時はそのほかの機会に山ほどあるだろう。

一か月前に予約をした時で既に満席に近い状態であった。

刺身の桶盛、のどぐろの焼き物、その他北陸の珍味(カニ味噌やふぐの卵巣)を天狗舞の大吟醸でいただく。日本酒にそんな詳しい訳ではないのだが、昔マンガ「美味しんぼ」で「天狗舞」が紹介されていたのを読んでから、日本酒といえば天狗舞と回路づけられている。

食べログにしろ、美味しんぼにしろ、要するに「権威志向型」なのかもしれない。

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次の日には金沢駅構内で寿司もたべる。
駅構内でこのクオリティ!

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おみやげはイカ!

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今回の金沢への出講で、意外にも印象に残ったのが、21世紀美術館である。
ちょうど「内臓感覚」という展示が行われていた。

「内臓」とは、人間の中で一番生々しい部分であろう。
身体性が凝固された部分であり、人間らしさであり、人間らしさゆえにグロテスクさやおぞましさを帯びているのかもしれない。

そういったものを表現する(「身体性の発露」)という行為を目の前にすることで、自分がいる「日常」と「非日常」とが倒錯する感覚を覚えた。

もう少し厳密にいうならば、「日常」が「非日常」を浮かび上がらせ、その「非日常」が「日常」を逆照射するという感覚である。

個々の作品の感想や解説は割愛するが、訪れてよかったと強く思えた。

ギフトショップのブックコーナーでやたらと鷲田清一が取り揃えられていたところを見ると、僕の考えたこともあながちずれてはなかろう。

そこで神戸の帰路用に文庫本を2冊購入したのであった。

山竹伸二「認められたい」の正体
四方田犬彦「かわいい」論

最後にお口なおしにレアンドロのプール。
まさに「日常」と「非日常」が交錯している。

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【20130626】金沢で語る

「新しい金沢、はじまる。」

という北陸新幹線のキャッチフレーズを記したそれこそ「新しい」看板を横目に、6月22日にサンダーバードで金沢入りをする。

ある大学での直前講習の仕事を受け持ったからである。

13:30の講義開始にも関わらず、大学側は12:30着を指定。
「なんでそんなに早く着かないといけないのか」と少し憮然としながら、金沢駅に降り立った。それこそ8年ほど前に一度金沢を訪れたことはあったが、ほぼ初訪問と言っていいだろう。

金沢は関西と比べると、やはり北陸であるためか、涼しい。

時間が少しあったので、スタバで時間をつぶす。

こういった時に、普段の習慣に従ってしまうというか、どこにでもあるスタバにいく必要はないじゃないかと日常から抜け出せない自分に嫌気がさしつつも、

「そもそも仕事やし、充電したいし、仕事の準備でWi-Fi使いたいし」と

それなりの御託を並べてみる。

金沢の商業施設は得てして空調が効きすぎていた。個人的には空調が無くてちょうど良いぐらいだったのだが。後で大学職員の方に尋ねてみると、暑くはないが蒸すらしい。たしかにじめっとしている。

12:30に合わせて、タクシーに乗り込んで、現地に到着。
エクステンションセンターの課長さんが出迎えてくれた。

10分ほど学生の状況や今年度の採用試験の傾向を話すと、「さあ行きましょう。車でお送りします」

1時間前到着を指定された理由がここでわかる。
どうやら車で15分ほどのとこにある研修所で直前合宿を行っているのだそうだ。
このキャリアサポートへの力の入れ具合には感心させられた。
1年次から本番の採用試験に向けて、大学主導で系統的に学習を行っていくらしい。

「13:00に学生は集合完了となっています」
「講義開始は30分からじゃないんですか?」
「着替えの時間があるんですよ。学生にはスーツ着用で受講することを義務付けているんですよ。」

おおおおお!

こっちは半袖のクールビズスタイル。
どちらかといえば、授業終わりの居酒屋飲みに気がいってしまっている。。

すいませんでした。。

そこまで真剣な想いを前にこちらも相応のもので応えなければと気合を入れ直す。

到着すると、「よろしくおねがいしまーす」と緊張感の漂う雰囲気。
僕にそんな敬意を払っても、特段何もメリットはないのだが、普段からそういったことを心がけることはよいことである。

講義内容の詳細は割愛するが、教育法規と教育時事、中でも注目を集めている「体罰と懲戒」「不登校」を中心に熱弁をふるう。

石川県教育委員会が「分権型社会」を掲げて市民運動に力を入れていることから、「生涯学習社会」の理念の解説にまで説明は及ぶ。

ただの語句知識の繋ぎ合わせでは、何も生まれない。重要な事柄を方法論化・パッケージ化することが僕の役割だと考えている。

終了後に職員さんに伺うと「ちょうどいいレベルで、試験前にぴったりでしたと学生が言っていました」とのこと、社交辞令かもしれないが、とりあえずよかったということにしておこう。

あれだけ情熱を傾けられる人たちこそが、教師として教育を担ってほしいなと改めて感じながら講義を終えたのであった。

その後の金沢の夜、そして21世紀美術館については、次回書くことにしよう。

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【20130626】ブログで語る

このブログで心機一転、何かを語ってみようと思う。
(新たに何かを語ってみたいという想いから、これ以前の記事は全て削除させてもらいました。)

思えばこのブログをつくったのは2005年、はや8年の年月が過ぎ去った。
「風と共に去りぬ」とは言うが、僕の8年は何と共に過ぎ去ったのだろうか。

・・・・

でも、過ぎ去った後に残る微かな残り香というか、じーんとしみいるような哀愁であるとか、そういったモノがあるからこそ、「過ぎ去った」という事実に彩りが加えられるのである。

シュワちゃんは”あいるびーーーばっっく!”という名台詞は、それまでの活躍があるから感動を誘うのである。他の登場人物にそこまでコミットしてなければ「どうぞご自由に」といったところであろう。

残り香というものが、他者へのコミットの結果だとするならば、どんな他者に、どのようにという問題が出てくる。

mixiやFacebookなど他者とかかわれるツールは多くあるが、どうもその内輪性というか内集団(人によって範囲は違うが)に対して「承認」のみを求める、もしくは内集団の「承認」のみを良しとするゲームに少し飽きてきたこともある。

ああいったSNSは度合いの違いはあれ、不特定多数の他者への「開放性」と繋がってる仲間同士の「閉鎖性」が絶妙に混在している空間である。だからこそ良い面もあれば、だからこそ視野狭窄に陥り、結局何がしたいんだろってことにもなりかねる。

何事も使い方次第なのだろう。

先日、夕方のニュースの特集で、数年前まで研究室で同期だったフィンランド人がイノベーションを起こすためのソーシャルビジネスを啓発する団体をたちあげたと紹介されていた。

僕の第一印象は「こんなところで何してるねん!」というものだったが、oxfordに戻らずに日本で健闘している姿、「社会学者」と名乗り、その専門性を社会に還元しようとする姿は、やはり北欧で生まれ育ち、イギリスで学問を修めた彼のアイデンティティがそのまま表れているのかもしれない。

とにもかくにも、「つぶやく」だけではなく、「語る」ということもしたくなったわけなのです。

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